レーシック体験談:スポーツ 梨田監督

☆梨田昌孝さんの体験談を神戸クリニックよりご紹介します。

1953年8月4日 島根県浜田市生まれ 浜田高校出身

1972年に近鉄バファローズ入団(ドラフト2位)し、1988年現役を引退。2000年から5年間、大阪近鉄バファローズ監督を勤め、2001年にはチームをリーグ優勝へと導く。
NHK 野球解説、日刊スポーツ野球評論家として活躍され、2008年より日本ハムファイターズ監督に就任。

梨田さんが「LASIK」をお知りになったきっかけは?

レーシックを知ったのは、6年前。私が現役を退いてからでした。当時のバファローズの現役捕手が受けてそのすばらしさを聞かされたのが初めてです。
私も現役ならプロとしてすぐにでも受けただろうなと思いましたね。極端に視力が悪いわけでもないので現役時代にメガネやコンタクトレンズを使用することはなかったのですが、やはり外野への飛球は、見づらい日もありましたね。特に西武球場のようなモヤがかかる日があるような球場だとやりにくかった記憶があります。監督のときもダグアウトから見る限りそんなに苦労はなかったのですが度つきのサングラスを利用するようになりました。そのときは今ほどレーシックの知名度も高くなくその言葉も既に頭から離れていましたね。解説者としてネット裏まで行くと外野への飛球は更に見えにくくメガネのお世話になりました。それでも中途半端な乱視が落下地点でのボールの動きを捉えきれないときがありわずらわしさを感じていましたね。
そんなある日、いつもメガネを愛用している同い年の友人とゴルフに行ったのですが、その日の彼の顔には見慣れたメガネがなかったんです。彼は最初嬉しそうにニヤニヤ笑うだけ。聞くとレーシックを受けたのだと。レーシックを受けたタイガーウッズじゃないですが、その日の彼のパットは絶好調、見事に沈めまくる。私の決心は固まりました。

梨田さんが神戸クリニックを選ばれた理由は?

私自身その日のうちにレーシックを受ける決意をしたのですが、なによりもまずは子供たちに受けさせてあげようと思いました。娘も息子も私以上の強度近視。メガネコンタクト無しでは日常生活もままならない。
早速、その友人に神戸クリニックさんを紹介してもらい予約を入れました。結果は無事レーシック適合。親の思いは彼らが親になったときに始めて理解して貰えるのでしょうが、レーシックのプレゼントは、初めて彼らが言葉に出してお父さんありがとうと感謝の気持ちを伝えてくれました。
ものを与えたのではなく生活そのものを変えてしまったのですからその感動が言葉に現れたのでしょう。

メガネを掛けたくない中途半端な視力だった梨田さん

手術前の視力は両眼とも0.3程度、普段はメガネを掛けていませんでした。手術翌朝、ベランダから見る景色がこんなに綺麗なのかと驚きでした。外へ出ても周りを見渡しても木々の緑や稜線の美しさに驚きばかりです。こんなに景観の優れた場所に住んでいたのかと改めて知りましたね(笑)。近視に乱視に老眼とどれも中途半端でメガネもかけたくない。それがかえってピントの合わない世界で長く生活させたのだと思います。まぁ老眼は、レーシックで治療することは出来ず手元を見るのは苦労しますが、本を読むときだけ老眼鏡を掛ければすむことですしピントの合う世界には代えられませんね。今は野球にゴルフが楽しみでたまりません。本当に受けてよかったと思います。

以上、神戸クリニックさんより引用させて頂きました。

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老化70代ではどうなる

日本ハムファイターズの監督としてダンディーな雰囲気の梨田さん。
野球選手時代ははっきりと見える視力ではなかったのですね。
お子様方にもレーシックを薦められたとか、そんな親子も増えているでしょうね。
近視・乱視・老眼・と中年以降の方々にはよりお困りのことが多いです。
老眼は誰も避けて通れないことですね。
これからは、野球もゴルフももっと楽しまれることと思います。