体操メダリスト 池谷幸雄の体験談 小5からコンタクト

☆池谷幸雄さんのレーシック体験談を紹介します。
コンタクト生活が大変だったようですね。

1970年09月26日生まれ。4歳より体操を始める。体操メダリスト。
清風中学校、清風高等学校、日本体育大学卒。ソウルオリンピックで、団体・個人床で銅メダル獲得。バルセロナオリンピックでは団体で銅メダル、個人床で銀メダル獲得。平成13年『池谷幸雄体操倶楽部』設立。テレビ、ドラマ、舞台、キャスター、体操コメンテーターなど、幅広い分野で活躍中。

神戸クリニックを選ばれた理由は?

LASIKについてはかなり昔から知ってました。日本にLASIKが入ってきた頃からです。そしてその頃から「受けたい!」と思っていたんですが、どこがいいのかも判らないし今一歩踏み込めなかったですね。でも友人が受けるときにいっしょに受けないかという誘いもあって、良い機会だからと思い受けることにしました。なにせ小学5年のときからコンタクトでしたから、視力が良くなることはずっと希望していることでした。

手術当日の気持ち

コンタクトを外して生活する日などなかったので手術前のメガネ生活はとにかく疲れてたいへんでした。体操の現場でも選手が体ごと飛んできますからメガネではとても危険なんです。だからコンタクトを外すのも難しくてたいへんでした。そんな状況ですから早くメガネの生活から解放されたい一心でしたね。実際手術室に入ると緊張こそしませんでしたが、手術なんて初めてでしたし注射をうつのも医者にかかるのも嫌いなので、正直不安はありました。

でも検査のときに説明を十分に聞いていましたし手術中も説明を思い出しながら「今、角膜をめくったな」とか「今レーザーで削ってるんだな」といった具合です。看護師のかたも「大丈夫ですよ」と声をかけてくださったので「本当に大丈夫なんだあ」と実感できて有難かったです。

手術を終えて

コンタクトに比べて眼が軽いです。コンタクトは眼が乾くしずれるし、そんなわずらわしい思いを小学5年のときからずっとしていたわけですから、それから解放されてこんな快適なことはないといった感じです。コンタクトなしでは生活できない自分が、裸眼で何の問題もなく生活できる!本当に素晴らしいです!

体操を教える立場としても楽になりましたね。大会と合宿を繰り返す日常ですからコンタクトは常に買い置きし、ストックを気にしながらの移動や旅行をしていました。現役のころは使い捨てレンズもなかったですからもっとたいへんでした。うっかり予備までなくしたら競技に参加できません。

体操は見せる競技です。競技者の動きがよく見えていることはとても重要なことです。いまやしっかり見えるようになって、より適切な指導ができると自信を深めています。

受けられる人は受けたほうがいいですね、やらないと損です。自分ももっと早く受けていればと思うほどです。多くの方に受けていただいて早く幸せになって欲しいと願っています。

以上、神戸クリニックより引用させて頂きました。

体操のメダリストとして、現役の体操選手の時代に視力回復の手術を受けられていたら、コンタクトのわずらわしさも無くもっと楽に活動できていたでしょうね。